- 強行採決された安全保障関連法に反対する上越教育大学有志の会私たちは、「戦争をする国」への転換を可能にする安保法制と、この法制が日本社会に生きる人々を蔑ろにするかたちで採決されたことに反対します。
- 声明文
私たちは、子どもたち、学校教師、学校教師を目指す人たちを含むすべての人たちに向けて呼びかけます。
私たちは、いま国会で、「安全保障関連法案」(安保法案)と呼ばれる法律案が強引に採決されようとしていることに対して強く抗議し、廃案を求めます。
安倍晋三政権が提出したこの法律案は、日本の自衛隊が他の国の軍隊と行動をともにして「敵」と戦争することや、日本から遠く離れた地球の反対側にまで自衛隊を派遣できるようにするものです。つまり、この安保法案が成立すれば、この国は、70年もの間「戦争をしない国」としての歴史を刻み続けてきた歩みをとめて、「戦争をする国」に向けて大きく舵を切ることになります。
これほどの歴史的な大転換なので、私たちはしっかり考えました。そこでまずは、この法案を、日本国憲法に照らしてみることにしました。なぜなら、憲法は、国のかたちを示した基本的な設計図なので、この国のすべての法律はこれに従わなければならないということになっているからです。このような仕組みを立憲主義と言います。ここで重要なことは、憲法についての専門家のほとんどが、安保法案は憲法違反だと判断しているということです。そのような法案の成立を急ぐ安倍晋三政権のふるまいは、立憲主義という仕組みを否定するものと見なされても仕方がありません。
たしかに、次のように考える人もいるでしょう。たとえ憲法違反であるとしても、日本の安全が確保されて、国際的な平和がもたらされるなら、それでいいではないか。けれども、こうした意見に対しては、専門家たちからの反対意見が少なくありません。たとえば、近隣諸国との間で不信感を高めあったり、戦争によってもたらされた「敵」への憎しみが「次の戦争」を招いたりという悪循環があるそうです。「戦争をする国」に向けた方向転換が、かえって危険な状況をつくりかねないとしたら、「それでいいではないか」というわけにはいきません。
でも、次のこともまた問題です。いま全国の至るところで、若者から老人まで、本当にさまざまな人たちが安保法案の廃案を求めて声をあげています。そして、その声は日増しに大きくなっています。そのような状況のもとでこの法案を成立させたいというのなら、安倍晋三政権には、まずやるべきことがあります。法案に反対する人々の声にきちんと耳を傾けること、憲法違反ではないことを誰にでも分かるように丁寧に説得したり、決められた手続きをとって憲法を変えたりするのが先なのです。
なぜかといえば、この国は、民主主義という仕組みでやっていくことを憲法のなかで宣言しているからです。私たちみんなが従うルールは、私たちみんなで決める。これが民主主義です。もし、国民の代表にすぎない政府と国会が国のあり方を大きく転換させたいというのなら、日本社会で暮らす人々の声を蔑ろ(ないがしろ)にしてはいけないということです。安倍晋三政権は驚くべきことに、反対する人々の声に耳を傾けようともしないで、法案の成立に突き進んでいます。このようなふるまいは、民主主義という仕組みそのものを否定するもので、国民みんなの代表ではないと自ら宣言しているようなものです。
正直に言えば、私たちは色々な考えを持つ人たちの集まりなので、なかには安保法案が必要かもしれないと考えている人もいます。けれども、安倍晋三政権とこれを支える政党が立憲主義と民主主義を踏みにじるようにして、この法案を成立させようとしていることに対しては、一致して反対しています。
さて、日本は、70年もの長きにわたって、曲がりなりにも「戦争をしない国」であり続けてきました。そうすることができた背景には、かつての日本国が犯した大きな過ちを深く反省し、その反省の上に立って平和への意思を抱いた人たちが、その思いを受け継ぎながら「戦争をする国」への転換をくいとめてきたという事実があります。そして、この深い反省と平和への意思を、学校の教師たちは次の言葉で受け継いできました。
教え子を戦場へ送るな。
「戦争をする国」になれば、教師たちは、教え子を戦場に送り込むことから逃れられません。そして、上越教育大学は学校教師を育てる大学ですから、私たちがこのことと無関係でいられるはずもありません。だからこそ、私たちは過去への深い反省と平和への意思を受け継ぎ、「上越教育大学有志の会」という仲間をつくって声をあげるのです。
上越教育大学は、その基本的な設計図にあたる「大学憲章」のなかで、「人類の福祉及び文化と学術の発展に貢献する大学の普遍的使命」を自覚すると宣言しています。戦場に送り込まれた教え子がそこで誰かの命を奪うこと。あるいは、その教え子本人の命が奪われること。そうした事態をもたらしかねない戦争が、「人類の福祉」に貢献するとは思えません。私たちは上越教育大学の「大学憲章」にのっとって言います。
「戦争をする国」への転換を可能にする安保法案が、日本社会に生きる人々を蔑ろにするかたちで採決されることに反対します。
2015年9月5日
- 呼びかけ人浅倉 有子 (教員)加藤 章 (元学長)佐藤 ゆかり(教員)辻野 けんま(教員)内藤 美加 (教員)二谷 貞夫(名誉教授)野地 美幸 (教員)堀 健志 (教員)増谷 直樹(名誉教授)(五十音順)
- 賛同署名この声明に賛同して下さるすべての関係者の皆様から賛同署名を募ります。下記のフォームに、お名前、属性(学生、職員、教員、非常勤講師、元教職員、卒業生、修了生、元非常勤講師、上越市民、教員志望者など)をお書き下さい。ただし、属性は公表いたしません。名前を公表してもよい方は,メッセージ欄に「公表可」と記載して下さい。
- 賛同者リスト9月5日~19日の累計〈上越教育大学関係者〉 72名〈上越市民〉 28名〈その他〉 9名【総計】 109名
● 9 月 5日まで
〈上越教育大学関係者〉 洞谷 亜里佐,阿部 亮太郎,小山 加代,ブラウン アイヴァン,志村 喬,茨木 智志,宮島 裕嗣,米嵩 睦子,田上 弘美,高野 浩志,阿部 勲,平野 七濤,西澤 睦郎,松浦 亮太,伊藤 孝之,白神 敬介,西之原 夢真,矢坂 英也,甲斐 裕太郎,善財 崇,小林 恵輔 (順不同 他 氏名非公表 8 名)
〈上越市民〉 田中 淳哉 (他 氏名非公表 1 名)● 9 月 6日~13日
〈上越教育大学関係者〉 藤田 武志,杉浦 英樹,吉澤 千夏,溝江 藤子,中平 一義,時得 紀子,高本 條治,加茂 勇,谷 友和,森田 睦子,今泉 和彦,井本 佳宏,佐藤 多佳子,伊藤 典子,齋藤 歩,原 沙恵子 (他 氏名非公表 10 名)〈上越市民〉 石塚 正英,沢田 繁,滝沢 いっせい,近 美千代,杉本 敏宏,調 信子,福冨 由加 (他 氏名非公表 17 名)
〈その他〉 松田 洋介,高橋 英児 ,今井 翔馬 (他 氏名非公表 3名)
● 9 月14日~19日
〈上越教育大学関係者〉 小林 順 ,小林 瞳,松本 健吾
(他 氏名非公表 4名)
〈上越市民〉 佐藤 和夫 (他 氏名非公表 1名)
〈その他〉 根間邦雄(マハエネマ) ,横山 茂
●9月22日
〈上越教育大学関係者〉 荻原克男
- 賛同者からのメッセージ
2015年9月30日、安倍政府は安全保障関連法(安保法)を公布しました。この安保法に私自身は強く反対です。その理由は以前お伝え致しました。この法案は国民の多くの方々が夜更けにも関わらず固唾を飲む中強引にも通過させたものです。此の度の国会で成立した安保法を今後は注意深く且つ冷静に凝視し、今後政府が暴走する可能性がある場合などは、私たち自身によって厳しい態度で「ノー」を表明することが重要であると思います。最終的には、安保法を廃止するよう不断の努力と国会の監視を続けることが大事であると考えております。 今泉 和彦 (元上越教育大学教員)
「既成事実」化に抗して/日常への緩やかな移行のなかで考え続けること 19日以後,新しい書き込みがとだえてしまったようなので,遅ればせながら賛同表明をいたします。 安保法制の強行採決がおこなわれて,形だけも成立という「事実」が無理矢理つくりだされました(もっとも委員会のあの騒動は,形式的にも,およそ採決といえるような代物ではなかった)。これが,かりそめにも「国政の代表」たる者の為すことがらかと,憤りを通り越して唖然とするほかありません。 それを形振り構わず推し進めた人たちは,いずれ時が経てば,これも「既成事実」と化すはずだという目論見でそうしたのだ。私たちの社会的健忘症を当てにして。だからこれは一つの挑戦状だということができる。いま現在の憤りと経験をどれだけ反芻することができるか,それが試されている。一人ひとりの反芻作業の積み重ねが,今とは違った未来を準備することにつながるだろう。 目を懲らせばいくつも希望はみえる。国会の公聴会で議員たちに,政党・派閥の一員としてある前に,一人の「個」として思考し,勇気をもって行動してほしいと呼びかけたSEALDsの奥田さん。彼は「義を見て為さざるは勇なきなり」という論語の言葉を引いて,それを訴えた。安保法の成立後,高校生が「スクール・オブ・デモクラシー」という名前の団体を立ち上げて,抗議デモを行った。戦後100年を迎えた時に,「自分の子どもに『日本は100年間戦争しなかったんだよ』と自慢したい」と演説した一人の高校生。あるいはまた,一人の17歳の高校生がこんな風に言っていた。来年から自分も投票できる年齢になる。そのときに自分でよく考え判断して行動できるようになりたい。でも,学校では(模擬投票など)政治教育はまったくやっていない,と。 こういう高校生(あるいは大学生)が,街頭に出かけて,みずから経験しながら何かを学ぼうとしている。そういう彼/彼女たちの要求に,現在の学校(大学)が何の応答もできないといしたら,「学校(大学)って何だ?」ということにならないだろうか。いま,「民主主義って何だ?」という問いが切実な問いになっているように,これもまた私(たち)に差し出されている大事な挑戦状だと考える。それぞれの持ち場で,できることはいくらもあるはずだ。私も微力ながらそのための試行錯誤を続けていきたいと思う。 * * * * * 「反芻は,牛のもっている能力で,人間には許されていない。しかし,思考の能力としては努力次第によっては人間にもできる。/それは個人の意志でも,できることだが,一つの社会のなかに,習慣として,つちかわれてゆくこともある。」(鶴見俊輔「反芻能力」『思考の落とし穴』)
(荻原克男,元上越教育大学教員)
教育者として、そして一人の人として、武力で平和を守ることは間違っていると考えます。この法案には絶対反対です。(大学院修了生)
地域の元教員の方から今回の取り組みに関して私宛にメールが届きました。
私的内容に関わらない部分で,皆さんにお知らせしたい内容を下記に転送します。
このような教員が地域にいて,大学を見ていることを忘れてはならないと考えます。
元気・希望が,より一層湧くメールです!
以下、抜粋です。
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(前略)
「安全保障関連法案」の強行採決に反対する上越教育大学有志の会のことをうかがいました。私もと思ったのですが、諸事情で見合わせました。
(中略)
このメールを書いている時点で、参議院本会議が始まっているのですが、国会を取り巻く、そして、全国各地で声を上げている人々の声が届かないもどかしさを感じています。
しかし、今回の国民の動きには、これまでにない広がり、新たな動き、主権者としての直接意見表明があり、例え、強行採決されたとしても、今後の運動につながるものがあると思います。
(以下略)
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(本学教員)研究者の発言を無視し、元裁判官の発言を一私人の発言と言い、市民の声を一顧だにしない傲慢、不遜な政府に危機感を感じます。怖いです。これは法案の賛否以前の問題です。(佐藤 和夫)
学習指導要領に謳われている「我が国と郷土を愛し」や「国際貢献」ということば。これまでピュアに受け止めてきたこのことばが、この安保法案によって、違ったニュアンスを含むことが可能になることに不安を覚えます。手放しで戦争とはまったくかかわらない国だからこそ、受け入れられたことばなのです。あらゆる分野の理念に波及する可能性のあるこの法案が、民主主義を踏みにじるような形で採決されることはあってはならないと思います。 「愛国心」を盛り込んだ教育基本法の理念がこの法案の成立とどうかかわっているのか、戦後レジームの脱却がどこに向かうのか。 明日は戦闘地域になるかもしれない非戦闘地域に赴く日本国民が未来永劫に一人もでない国を望みます。(本学教員)
唯一の被爆国として、武力によらない国際貢献と真の独立を追求すべきです。この法案を廃案にするだけでなく、武器輸出など9条の理念にそぐわない状況から脱却し、真に平和憲法を生かす道へ。(齋藤 歩)
小さな小さな力だけど、その力が積み重なって大きなうねりになり、
日本を変えていけたら、まだ民主主義を信じていくことができるような気がしています。
本当に本当に微力ではございますが、何か私で出来ることがあればお声かけください。(吉澤千夏)
孫2人が、付属小学校に通っています。その子たちの未来を考えるとこの様な法案は通すわけにはいきません。8月30日には国会議事堂前の抗議集会へも行きました。 1人1人を大切にする社会になってほしいです。(附属小学校に通う児童の祖母)
上越教育大学にもこのような教員がいることを嬉しく思いました。(大学院修了生)
誤解を受けるかもしれませんが、法案そのもの自体に明確に反対と言いきれない自分がありました(だからといって、明確に賛成なわけでも、教え子を戦争に送りたいわけでもありません)。しかし、今回のように、法案が違憲であるという多くの憲法学者の声や納得していない人々が多くいる中での「強行採決」、今後予想される「60日ルールによる衆議院での再可決」には、とても違和感を覚えます。(まさに、「民主主義って何だ」という感じです。)
アピール文にあった「けれども、安倍晋三政権とこれを支える政党が立憲主義と民主主義を踏みにじるようにして、この法案を成立させようとしていることに対しては、一致して反対しています」という部分に強く賛同し、安保法案の強行採決に抗議いたします。(大学院生)
ある報道番組のインタビューで、安保法案賛成の若者が『近隣国から国を守れたら日本国憲法など関係ない。その結果戦争になってもいい』といった趣旨の発言をしていた。驚いた。戦争になっていいのか。断じてよくない。そこで、血を流すのは自衛隊であり、一国民である。その一国民は私たち教師の教え子である。愛情を注いだ教え子を戦場に送り出したい教師はいない。 戦争に『前方』も『後方』もない。武力を武力で乗り越えようとする短絡的な考え、武力で牽制することが最も日本を守れる方法だという考えこそが、最も非効率なやり方であるという逆説に自覚的であるべきだ。(大学院生)
「外交能力の欠如した外務省」と「戦争に何らかの形で参加したい自衛隊幹部」による、【戦争やりたい法案】に反対します。(その他)
有権者によって選出された代表者としての国会議員。しかし、国会議員の声が、有権者を代表している声ではないはずです。
「安保関連法案を廃案にしよう」と訴えている人々が多くおり、また。「廃案にしようとする」動きは未だに衰えません。かえって、広がりを見せています。そういった有権者の声に耳を傾けることなく、むしろ、無視するかのように、安倍晋三政権は安保関連法案を強行に採決しようとしています。また、過去の過ちから、こ「現行の日本国憲法は平和憲法である」として、多くの子供に教えてきました。しかし、この法案は、目の前に居る子供を、もしくはこれから育っていくだろう小さな子供を、「戦争に行ける」ことにつながりかねないものでもあります。
「教え子を戦争へ送るな」
反対している多くの国民の声に耳を傾けようとせず、強行採決をしようとする安倍晋三政権の姿勢に反対すると共に、
目の前の子供も、これから育っていくだろう子供のため「戦争をしない憲法」を継続していくことを強く願って、反対声明の趣旨に賛同します。(大学院生)
公務員の立場上、名前の公表は難しいかと思います。 自分で何か行動を起こすこともなかなか出来ない現状ですが、せめてもの行動として賛同させてください。 平和とはなにか。 戦争がなければ平和なのか。 平和について、大学生のころに学び深く考えました。 大学の皆様が行動をされるのであれば、微力ながら協力させていただきたく存じます。(学部卒業生)
この法律を推進しようとする人たちの 人権意識のなさ、順法精神のなさ、歴史観に幼稚さに 人間としての狭量さに 危うさを感じます。(新潟県民)まずは上越教育大学の先生方が安保法案に反対の声明を出されたことに敬意を表します。私は以下の理由で安保法案に反対です。 1.この安保法案は立憲主義の精神を踏みにじり日本国憲法・特に第9条の範囲を逸脱し、明らかにルール違反であると思います。 2.このたびの安保法案は閣議決定という手続きを踏み、現時点では国民の了解が得られる為のステップを十分踏んでおりません。このように自明で必要な手続きを踏まない安保法案を見過ごすわけにはゆきません。また、安倍政権そのものおよびこのたびの安保法案は、今後の日本にとって危険な内容を多く孕んでおり、民主主義国家としての日本の社会では広く認められないと強く思います。 3.現安倍政権は善隣諸国の政治外交については極めて消極的であると思います。ときにはこのような国々に対して軽視しているようにも感じます。また、このような国々に対して安倍首相は「いつもオープンです。」と表明されていますが、その内容を空虚に感じるのは私だけでしょうか。現安倍政権は中国や韓国をはじめとして東アジア諸国との平和外交が蔑ろにされていると私自身は思っています。今後の新政権は、独立した平和国家としてアメリカだけではなく東アジアの近隣諸国に対して理性的で友好的に歩むことが必須であると強く思います。 4.各大学に学ぶ学部生・大学院生・研究生・博士研究員などの将来活躍するであろう方々が安心して学業や研究に専念できるよう教育・研究の環境を絶えず良好に保つことは大学人として当然の責務であると思います。このたびの安保法案はこの良好な教育・研究環境を大きく変化させる内容を含んでいます。このたびの安保法案だけは廃案以外の選択肢はないと考えております。今後、自らできることは限度がありますが、多くの方々と協力してこの安保法案を厳しく注視したいと思います。 (今泉和彦,元上越教育大学教員)
日本国憲法第12条には、こうあります。 「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。」 私は、私の自由と権利をこれからも保持し続けるための私なりの不断の努力の一環として、上越教育大学有志の会の呼びかけに対する賛同の意思を表明いたします。(井本佳宏,元教員)
地元でも先週デモがありました。ニュースで知るくらいアンテナが低い自分ができることは、正直ありません。それに、どこまで参加してもよいのか、教育公務員としてちょっとビビって動き出さないのも事実です。組合も「戦場に子どもたちを送るな」といいながら、動きは見られませんので(今の職場だからなのかはわかりませんが)。ですので先生方の声明に便乗するかたちにはなりますが、賛同させていただきます。
ただ、これからを生きる子どもたちには自分の意見を表明できることを伝えたくて、国語の平和を考える単元や社会科の戦争についてや、ディスカッションする道徳等で授業を考えていきたいと思っています。(修了生)頑張れ 若者の未来は君達のもの。(市民)
軍事的手段で何が解決したでしょうか。戦争を行わない加担しないことが日本のあるべき姿であり、他国から尊敬される所以であると考えます。(上越市民)
突然、最高法規たる憲法が黒から白に解釈がかわったら、「何か、おかしい」と 立ち止まるべきではないでしょうか。日本国憲法は今現在、何もかわっていません。(上越市民)
そもそも法案の強行採決が問題なのに、法案の賛成派が反対派を、反対派が賛成派を、それぞれがネットで罵りあっている。 とても痛々しいし、どちらも踊らされてる感じがする。 この運動ですら「安保反対」にすり替えられないか心配です。(上越市民)
公務員として、声明文に名前を記載することについては、なかなか難しいとは思いますが、教員として、声明には賛同いたします。教え子を戦場に送りたくはありません。(修了生)
この法案は世界の国々と新たな不安や緊張を生むだけで平和とは反対の道です。 もう誰も犠牲にしない本当の平和の道を歩むべきです。(近美千代)わたしがこの法案に反対する理由は、ただ一つ。この法案提出やそれに先立つ閣議決定など一連の政府の行為が、立憲主義を否定するものだからです。 立憲主義は、多くの人が多くの血を流し長い長い時を費やして権力をコントロールするために作り出してきた仕組みです。 人間である以上、この世に完全な人間はいません。最高の権力を持つ人も完全ではありません。いかなる権力者も最上位の法(憲法)を逸脱してはならないという、権力に対して疑り深く、権力をコントロールする仕組みが立憲主義です。 ただ、この立憲主義が絶対のものだというつもりはありません。これも人間が作ったもので未だ不完全な仕組みです。 しかし、これを否定してしまえば、王様が気ままに人々を支配するような、基本的人権などまったく考慮されない、何が起きてもおかしくない世界が出現します。 戦後70年。諸外国と比べても経済的にも豊かで、さまざまな意味で成熟したこの日本社会で今、このような法案が成立しようとしていることに驚きを禁じえません。なんとかしなければなりません。(ジャーナリスト、上越市民)
もし有事の時になったら、
私が教えた子どもたちは何の疑問もなく戦争に行くのではないかと不安です。
私はこれまで学級担任として「集団づくり」を進めてきました。
いま思えば、それは、周りに同調することに疑問を持たせないような指導でした。
子どもたちから、自分で判断し行動することを奪っていたのではないかと、疑問に思っています。
もちろん、私は、子どもたちに戦争に行ってこいなどという指導はしていません。けれども、この法案が通り、世の中が戦争の雰囲気になったりしたら、私の教え子たちは周りの空気を読んで戦争に行こうとするのではないかと思うのです。
今までの私の指導は何だったのでしょう。間違ったことを教えていたのかもしれません。
今、法案が通ったら、日本の未来が決まってしまいます。それは、平和な国になるような法案ですか?違うと思います。教え子だけでなく、日本の子どもたちが大人になった時、地球上のあらゆる人々と平和な世の中を築いていけるように、
安保法案の強行採決に抗議します。(大学院生)
声明文にもありますが、安保関連法案の是非に関しては様々な考えや意見があると思います。様々な意見があるからこそむしろ丁寧に議論していくべきだと思います。ただ、この度のやり方は、強引で、他を顧みない意思決定であり、民主主義を尊重する姿勢は些かも感じられません。
言いたいことは多々ありますが、とにかく今のやり方を黙認したくはないので、便乗するような形ではありますが、是非私にも反対の意を唱えさせてください。(甲斐裕太郎)
命のバトンを繋げていくことを
自ら放棄している。
生きるということは、
自分の命を全うさせ、
両親から受け継いだ命のバトンを
次に繋ぐこと。
戦争するということは、
誰かの命のバトンを絶ってしまう。
私は、相田みつをの
命のバトン
という詩が好きです。
もしも、あの日、
祖父が広島で亡くなっていたら、私はこの世には存在しない。広島で被曝したとはいえ、祖父は運よく生きたから、祖父から父へ、父から私に、命のバトンが繋がっている。そう考えると『命のバトン』の重みを考えずにはいられないんです。だから、戦争、絶対に反対です。(大学院生)多くの専門家が違憲見解を表明している法案を通そうとするのは、言語道断!!としか言いようがありません。(浅倉有子)
安保法制の反対運動に賛同いたします。憲法を無視して突っ走るのを止めなければいけないと思っています。(増谷直樹)集団的自衛権行使は戦いの連鎖を生みます、大反対!、教え子を再び戦場に送るわけには行きません!(西澤睦郎)安保関連法案をめぐる国会審議への私見
国会で審議中の安保法案をめぐり、市民、学生、学者、法律関係者はじめ多くの専門家等からの批判が相次いでおり、私個人も現在次のような重大な疑義を感じています。
まず、これほど多方面からの批判や疑義、対案が提起されている中で、法案を一度立ち止まり熟慮しようともせずに政府が独走する状況が異常であるということです。
法案は、再吟味し次期国会に再提起することができます。もし法案が、安全保障上や国際貢献上から必要かつ有効であるとするならば、法の制定や改正は必要でしょう。しかし、今回の安保法制をめぐっては、憲法学者からは違憲性をめぐる批判が相次いでいるだけでなく、安全保障・国際関係の専門家からも内容の有効性をめぐる批判が提起されています。つまり、法案そのものの正当性(合憲性)だけでなく必要性(有効性)の両面から重大な疑義が呈されている状況があります。何よりも、国のあり方が根幹から変わりうる状況に際して、市民の合意が得られていないばかりか政府が黙殺しようとするかのような状況があります。
子どもの未来や社会の将来を根幹から揺るがす事態に面し、私は公教育への責任を多方面で負っている教育大学の一員として、現在の安保法案に強く反対いたします。内閣の「解釈」だけで憲法の根本理念が転換されてはなりません。また、このような行政権の肥大化を本来抑止すべき国会が、民主主義や法治主義、人権尊重はじめ国際的な基本価値そのものを否定する議員を複数擁している状況が許されてはなりません。政府が市民の間に公共的な議論を惹起し合意を形成しようとする努力をせずに、行政府と政権与党のみによる既成事実をつくりあげることは絶対に許されないと考えます。
日本という国が、広く市民や国際社会にとってどのような将来を拓こうとするのか公共的な議論を尽くすべきであり、市民の間でも専門家の間でもすでにそのような議論の素地が形成されています。これらを無視する状況がある以上、安保法案に断固反対し即時撤回を求めます。(辻野けんま)
戦争は、それによって突然人生を絶たれたり、大切な人を失って一生慟哭したりする人を生み出します。戦争は、軍需産業を儲けさせます。戦争は、国内政治の大失態を隠します。
そのために、権力者が
何かと理由をつけて戦争したい場合でも、
その横暴を禁じるのが憲法です。
選挙のとき公約もしていなかった違憲の法案の成立を強行しようとすることは、
残念ながら、もはや日本が民主主義国家ではないということです。
そのようにして、現在、自由な民主主義国家としての日本の信頼が、世界では失墜していますが、
しかしまだ、日本は海外での軍事行動で、人の命を奪っていません。
軍事行動によって、国の内外で多くの人々が死ぬ事態にはなっていません。
まだ間に合います。
失墜した信頼は時間がかかっても回復できるかもしれませんが、
失われた命は取り返しがつきません。
それに戦争がいったん始まったらなかなか止められません。
海外で現地貢献する日本人は、この戦争法案によって命の危険に晒されると必死に訴えています。
国内外で、日本人を狙ったテロの危険が高まるでしょう。
外に敵を作って煽ろうとする幼稚な企みに乗らず、
今一度、戦争で突然自分の命が絶たれることを想像しましょう。
大切な人と永遠に会えなくなり、一生その人の不在に耐えなければいけない人生を想像しましょう。
日本という国が、そのような人々を生み出す国になっていくことに、平気になってしまってはいけないと思います。
海外の民主主義国では、人々が多数派政権の横暴を止めています。
どんな方法なら私達は立ち直れるのか、考えませんか。
どうしたら多くの人に伝えられるか、考えませんか。 (阿部亮太郎)教え子を戦場へ送れない。
日本国憲法の下,平和で民主的な日本を目指して教壇に立った教師らにとって標語「教え子を戦場へ送るな」は,イデオロギーや組織を超えた共通意識として引き継がれてきた。1980年代に教師となった私の周辺には,戦争体験を持つ教師もおり,この言葉が,先輩教師にとって大切なものであることは強く伝わってきた。但し,あまりにも当然なことで,新米教師時代の私にとって,敢えて重要視する言葉でなかったのが実際であった。
しかし,1992年に「国際平和協力法」,いわゆるPKO協力法が成立し,9月にカンボジアへ自衛隊が初めて派遣される事態となり,「教え子を戦場へ送るな」は私にとって少しずつ気がかりな言葉になっていった。それまで私が教えてきた子どもたちの中には,様々な理由から自衛隊員となった者がいた。彼らから届く便りは,元気にしている,こんなことが出来るようになりました,といった明るく頼もしい内容だった。しかし,1992年の「国際平和協力法」成立後,カンボジアへ派遣されかねないと思わせる葉書が突然届いた。いつもと変わらぬ元気な様子を読みながらも,もし行ったら本当に安全なのだろうかとの危惧が頭を過ぎり,何があっても無事を祈るとの想いが湧き上がった。この瞬間的想いは極めて強烈であり,「教え子を戦場へ送るな」と暫くして自然に結びつき,先輩教師らの共通意識が理解出来るようになった。
それから20年余が過ぎた現在,その時私が抱いた危惧は,いよいよ杞憂とは言えない。PKO法案における「国際平和」,今回の政府の言う「平和安全法制関連2法案」(いわゆる安保関連法案)における平和や積極的平和主義なる言葉の意味は,教師を含む多くの国民の考えている意味とかなり異なる。だから,標語「教え子を戦場へ再び送るな」が,何人もの教師らから発せられている。
いくら政府の説明を聞いても,否,説明を受ければ受けるほど,この安保関連法案は,教え子を再び命を奪いあう戦場へ送りかねないと思う。そして,私の考える教師は「教え子を戦場へ送れない」。
ならば,この安保関連法案は,撤回・廃案にするしかない。(志村 喬)